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荻野目慶子は魔性の女「偏差値70超」不倫相手の自殺現場でヌード写真。

荻野目慶子ってだれ

荻野目慶子

荻野目慶子は、1979年、舞台『奇跡の人』のヒロイン・ヘレン・ケラーの役を選ぶオーディションで芸能界入り。 その後はテレビ、映画、舞台とアイドルのように幅広く活躍の場を広げた。いくつかの不倫を経験し、巷では元祖魔性の女として今でも魔性業界では有名な人。

世には魔性の女と呼ばれる女性がいるが、芸能界でも魔性の女偏差値と呼ばれる数値がある。石原さとみ、蒼井優、吉高由里子あたりが常々偏差値上位に君臨しており、高岡早紀、片平なぎさ、壇蜜あたりは外見を中心に魔性の女偏差値が高い。しかし、外見も行動も全て含めると唯一の偏差値70超えが荻野目慶子なのである。

20代、30代の読者にはほとんど知られていないかもしれないが、その父親世代に聞いて知らない人はまずいない。誰もが認める魔性の女である。人の命まで奪ってしまうほどの魅力を備えたモンスター女優が、荻野目慶子である。荻野目慶子の魔性っぷりを検証してみる。

荻野目慶子と荻野目洋子は実姉妹だった

荻野目洋子
荻野目洋子は荻野目慶子の妹

荻野目慶子と荻野目洋子はもちろん別人。しかし実は荻野目洋子は荻野目慶子の実の妹だ。ずっと知らなかったけど、調べてみたら実の姉妹だった。姉の慶子が1964年生まれで、妹の洋子が1968年生まれで4つ違いの姉妹である。

荻野目慶子は不倫相手にヌード写真を撮影してもらい、彼はその場所で自殺した。

魔性の女に偏差値をつけるとしたら、荻野目慶子と藤あや子が偏差値上位独占だろうか。世代別だと、アラフォー世代にはいる。アラサーなら、葉月里緒奈や奥菜恵、高岡早紀が高偏差値と呼ばれるだろう。しかし、世代を超えても荻野目慶子は魔性の女のトップに君臨するはずである。

荻野目慶子
2012年当時の荻野目慶子

 

あまりの魅力によって、男を自殺にまで追い込んだ荻野目慶子こそ真性魔性の女といえる。別れを切り出した荻野目慶子に向かって不倫相手の男は「別れるくらいなら、死んでやる」と言って、そのままセーターだかマフラーで首吊り自殺をした。現在の荻野目慶子でも魅力的だが全盛期の荻野目慶子はそこらのアイドルの比ではない。

荻野目慶子の不倫事件を振り返る

遡ること25年前、1990年4月30日に事件は起きた。荻野目慶子の恋人であった映画監督の河合義隆が荻野目が留守中の荻野目の自宅マンションで首をつって自殺したのはのこと。河合義隆には妻と息子がおり、二人の関係は不倫関係にあった。

二人の関係が始まったのは事件から更に遡ること5年。1985年(昭和60年)に当時20歳だった女優・荻野目慶子と知り合い、演技の指導を続けているうちに、関係が始まったと言われている。河合義隆は1947年生まれで、荻野目慶子との歳の差は20歳近くある。

その後、荻野目慶子が1人暮らしを始めたことをきっかけに河合は彼女のマンションに入り浸るようになった。しかし、その関係が河合の妻のしる所となり、大変な修羅場となったと言われている。

河合は1990年(平成2年)4月30日、東京・世田谷区南烏山の荻野目慶子の自宅マンションで首吊り自殺死しているところを、地方のロケから帰宅した荻野目慶子に発見される。当時の様子のニュースを調べてみると、荻野目宅のキッチンとリビングの間のドアにマフラーをかけて首を吊っていたそうだ。享年43。

警視庁成城警察署に事情聴取された荻野目は、「私から別れ話を持ち出したら、河合は『別れるぐらいなら死にたい』と言っていた」と涙ながらに語った。43歳の男が家族と自らの命を捨てるまで愛した女が当時25歳の荻野目慶子。まさに魔性の女なのである。

荻野目慶子の不倫事件はさらに続く|深作欣二編

深作欣二
深作欣二は荻野目慶子を死の直前まで愛し続けた

不倫相手が自宅で首つり自殺後「魔性の女」と叩かれたわけだが、荻野目は芸能界でたくましく生き残った。1992年に映画「いつかギラギラする日」で再びブレークし、その後映画監督の深作欣二と交際がスタート。関係は10年にも及んだと言われている。この交際は荻野目慶子というよりは、深作欣二監督から半ば強引にスタートさせられたのが実情だと噂されている。

交際をスタートさせて4年後、1996年に前立腺がんを発病した深作監督。治療に有効な女性ホルモンの投与が男性機能を失うことになると告げられたのだが、荻野目との肉体関係を続けられないという理由でホルモン投与を断固拒否した。病室でもこっそり情事を繰り返すほどその愛は死ぬまで続けたようだった。命よりも荻野目慶子を選んだ名監督だったのである。