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保坂と布袋と別れた高岡早紀、ヌード写真集は史上最高の声

保阪尚希が沈黙を破って告白した高岡早紀との離婚の真相

高岡早紀ヌード

保阪尚希(ほさか なおき)は  1967年12月11日生まれの俳優。90年代頃には、福山雅治、萩原聖人と並んで新平成御三家美形俳優として活躍していました。一方の高岡 早紀(たかおか さき)は1972年12月3日生まれの女優です。この2人は元々夫婦だったものの高岡早紀の浮気が原因で離婚しました。約10年間の離婚原因の沈黙を破り、保阪尚希がついに離婚の真相を語り始めました。

高岡早紀と布袋寅泰の浮気が発覚

高岡早紀と布袋寅泰不倫

’04年に彼女とミュージシャン(布袋寅泰)の不倫報道が出たとき、僕はマレーシアにいました。その翌日、彼女から電話がかかってきたんです。「尚ちゃん、今から帰りの飛行機を変えられない?空港と家が大変なことになってるの」と言われました。僕は「そんなことできないよ」と言って、そのまま帰国しました。そのときの率直な気持ちは、「(ついに)やってくれたな」というものでした。

母ではなくオンナでありたい高岡早紀

彼女は移り気な性格だったので、遅かれ早かれ離婚は避けられないと思っていたんです。彼女は結婚して子どもを産んでからも、母親であるより、女としての部分のほうが強かったんでしょう。彼女はよく僕の現場に遊びにきていたんですが、恐る恐る聞いてみました。「今度、Sさんと共演するんだけど、それでも、いつもみたいに遊びにくる?」って。すると彼女は「時間があったら行くよ」と答える。驚いて、「どういう顔して会うの?」と聞くと、「今の旦那ですって紹介するよ」と、平然と言うんです。※Sさんとは、高岡早紀の元彼氏だそうです。

保坂と高岡早紀の離婚会見には真相が別にあった

離婚会見では、僕は離婚の理由も彼女の男性問題も話していません。親権は僕がもらったけれど、子どもたちの母親だから悪く言いたくない。それでもっぱら不倫相手の布袋君に怒りの矛先を向け、「火遊びが過ぎた」という彼の弁明に噛みついて、「きっちりけじめをつけたい」などと挑発したんです。保阪さんの発言を受け、布袋寅泰さんはその後、ボディガードを雇ったり、家から出られなくなったりしたと週刊誌に報道されていました。保阪さんは、当時を振り返り、申し訳なかったと思っている。と発現しています。内心では、「布袋君は早紀に巻き込まれて大変だったろうな」と同情していました。あのとき「けじめをつける」と言ったのは、実は布袋君に対してではなく、本当は早紀との関係を終わりにする僕の決意の表れだったんです。

離婚後も高岡早紀はトラブル続き

1996年に結婚して二児をもうけた保阪尚希と高岡早紀は、離婚の直接的な原因となった布袋寅泰との不倫を経て離婚しました。そのとき慰謝料は発生しなかったようで、保阪尚希側は当時数億円と言われた豪邸を高岡早紀側に所有権を譲渡し、親権は保阪尚希のもとに残りました。ただ、高岡早紀が養育者として息子たちを育てていました。

そんなときに高岡早紀に布袋寅泰ではない新たな内縁の夫があらわれました。その頃から、豪邸のローン返済が滞るようになり、しまいには保阪尚希が自宅を差し押さえる騒ぎにまで発展します。その後、高岡早紀の母親が代表を務める会社「バニラポット」が破産宣告し、個人出資者から損害賠償請求を起こされていて、実はこのトラブルの中心にいるのが内縁の夫だそうです。

さすがに懲りた高岡早紀は、内縁の夫とは縁を切ったようですが、これに激怒しているのが保阪尚希。こんな女に子どもたちを任せてはおけないというのが理由。二人の子どもを取り戻すと躍起になっているようです。

そんな高岡早紀はヌード写真を出していた

 

トラブル続きの高岡早紀ですが、若かりし頃にヌード写真『one,two,three』を出版しています。カメラマンは宮沢りえのSanta Feの撮影した篠山紀信。発行は1995年で、当時の価格は4500円。ほとんどがモノクロ写真なものの、高岡早紀のヌード姿に結構売れました。発行部数は40万部程度だったと言われており、この数字なら宮沢りえ、菅野美穂、樋口可南子に次ぐヌード写真発行部数でしょう。

1994年、映画 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に出演し、ヌード姿を披露しました。この作品では日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞などを受賞しました。そしてその翌年1995年に、このヘアヌード写真を篠山紀信と共に出版しました。映画、写真集と相次いでヌードになったのです。