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道端アンジェリカの写真集は酷評の嵐。ヌードの定義を再定義したほうがいい。

道端アンジェリカが心も、身体も、全部脱いだ写真集が『Nude Face』

4月下旬に発売された道端アンジェリカの写真集が、酷評されている。出だしの発行部数は順調との声も聴くが、早くも古本が出回っている模様。何よりも、心も身体も全部脱いだという触れ込みなのだが、フタを開けたら全然脱いでない。表紙以上の露出はどこにもない。自身初のヌード写真集に抵抗もなく撮影できたとインタビューで答えたいたものの、この写真集に勇気を振り絞って挑むヌード写真は無い気がする。

道端アンジェリカ写真集

しかし、どこにもヌード写真は無いと思われる

道端アンジェリカが定義するヌード写真と読者が期待するヌード写真には大きな乖離があるようで、手足でブロックされた写真をヌード写真とは呼ばないという声が圧倒的に多い。キャッチコピーは男性向けに設定されているいながらも、とはいえモデル業として活躍する彼女は今回の写真集で女性ウケも同時に狙ったのだろう。

しかしながら、ページをめくっていくとどうも読者像がぼやけていて、作品自体は中途半端な印象がある。フルヌードになってしまうと男性読者だけが対象になってしまうので、セミヌード路線で女性にも買わせるといういわば常套手段なのだが、これが今回もまた裏目に出ている。

道端アンジェリカヌード

そもそも、日頃から露出度の高い洋服を着ているのにも関わらず、この程度の写真集で需要があるのだろうか疑問がある。20代最後の私のやりたかったことを思いっきり写真に詰め込んでみました!と意気込んだ写真集だが、普段の道端アンジェリカとの違いがあまり分からない。

そろそろヌード写真集の定義を決めたほうがいい頃合い

まず、ヌード写真集にはいくつかのカテゴリがあると思っている。例えば、フルヌード、ヘアヌード、セミヌード、マタニティヌード、ヌードだ。どれも芸術作品として成り立つ写真のカテゴリだ。今回のように全部脱いだヌード写真と宣伝されたとき、たいていはフルヌードを想像してしまう。

まずは、写真集がどのカテゴリに属するのか、そしてそのカテゴリの写真が身体のどこまで表現されているのかをしっかりと決めてから宣伝してもらいたい。もし道端アンジェリカの写真集も最初から誇大広告でなければ、もっと肯定的に受け入れられた可能性が高いと思う。