武夷山とは中国福建省にある山々の総称で、1999年に世界遺産に登録されました。中国人が人生で1度は訪れたいとされる場所の1つでもあります。武夷山は独自の特色を持つ「三三」、「六六」、「七十二」、「九十九」の名勝を構成しております。「三三」は青くて澄明な九曲渓のを指し、「六六」は九曲渓の両岸に並ぶ三十六峰のことを指し、「七十二」は七十にヶ所の穴、「九十九」は九十九座の山を指しています。
広大な武夷山でもっとも有名なのは、九曲渓です。武夷山の南側に九曲渓という約10キロの清流が東西に流れており、いかだ船で2時間かけて川下りをする観光名所です。
今回は、撮影旅行です。
旅の目的は、武夷山全体ではなくて九曲渓の一点集中です。川下りの中で霧に囲まれた奇石や武夷山の山々を撮影することこそが達成すべき目的です。全ての準備時間、全ての精力を九曲渓に注ぎ込みました。
九曲渓を攻略するための準備編
世界遺産かつ中国人が人生で1度は訪れたい場所であり、年間400万人が訪れる観光名所です。考えただけで大激戦だと想像できます。入念な調査と準備をして臨戦態勢に入りました。
- 九曲渓の乗船チケットの手配。現地手配なんて甘いことは言っていられません。出発3週間前に淘宝網でチケットを事前入手しておきました。
- レンズの準備。激流箇所もあるため手ぶれ補正はあってこしたことはないですが、この条件ではAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR IIしか持っていません。広角側が物足りなすぎるので、AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G EDと35mm F1.4 DG HSMの3本を持って行こうと思います。船上でレンズ交換出来るのかどうかは未知数ですが、とりあえず全て出動準備は済ませておきましょう。
- カメラの準備。通常の風景写真にはD800を担当させるところですが、船上撮影では手ブレも多そうなのでD4sに決めました。しかし最終的にはD800もバッグに詰めてしまいました。
- アクセサリーの準備。あいにく当日の天気予報は大雨です。防塵防滴仕様とはいえども、どこまで耐えうるのかは未知数。土砂降りの撮影も視野にいれてカメラ用のレインカバーを買い足しておきました。ネットで調べたらニコン純正のものを見つけたのですが、上海ニコンショップでは純正レインカバーは販売されていないとのことで、韓国メーカーのレインカバーを調達。
- 乗船時間の選択。一番早い出発時間が朝の6時半で遅くて15時半。九曲渓の名物は霧がかった情景なので、恐らく霧の出る早朝は激戦が予想されます。でも、旅の最大の目的のために妥協は許されません。空き時間があった7時半に乗船手配をしました。
- ホテルの準備。世界遺産地域に通ずる入り口が2箇所(北口、南口)あり、南口付近のホテルを予約しました。
- 移動手段の準備。ホテルから九曲渓へはタクシーで南口まで、南口からはバスで向かいます。ホテルの近くでお茶屋を経営するアニキが送迎してくれると言うので、彼に依頼しました。朝の6時にホテルで集合する約束です。
九曲渓を撮影する準備は全て整いました。後は当日の悪天候への対応と他の観光客とのつばぜり合いだけが心配です。
九曲渓の撮影当日 世界遺産エリアへの入り口
朝の6時にホテルを出ると、そこにアニキはいました。彼の車に乗って世界遺産への入り口である南口へ到着。さぁここからが旅の始まりだと身震いさせておりましたが、あたりを見渡しても誰もいない。数十人、いや数百人規模の大行列を予想しておりましたが、人っ子一人いない。何としたことか!場所を間違えたか?ここは武夷山じゃないのか?と疑心暗鬼になりつつも、一歩足を踏み入れると、看板にはやっぱり武夷山とある。
年間400万人が訪れる武夷山は1日1万人が訪れる計算です。入り口は2つしかないことを考えれば、この南口に人がいないのは計算が合いません。しかし前進有るのみ。自動発券所でチケットを無事に受け取って、九曲渓の乗船口まで車を走らせました。
九曲渓の撮影当日 九曲渓を撮影
腹が減っては戦はできません。出港時間まで時間があったので朝ごはんを食べて心を落ち着かせます。運転手のアニキに教えてもらったベトナム料理店で朝ごはんを食べながら、撮影準備に入ります。
ここでも観光客らしき人を見かけず、旅の目的が達成できないのではないかと心と身体は硬直状態です。食も喉を通りません。朝ごはんを半分ほど残し、九曲渓の乗船口へと歩き出しました。
乗船場所に到着すると、観光客らしき人はどこにもいませんでした。いたのは物売りおばあちゃんだけ。不安な気持ちを忘れるために、おばあちゃんから武夷山帽子を買いました。財布をバッグに戻しながら、なるほどここに物売りおばあちゃんがいるということは、今日は出船するはずだと妙に納得して乗船口へ到着しました。
しかし、待っていたのは驚愕の事実でした。乗船口に到着するやいなや目の前にいたのは肩を落とす4人組の女子。何やら嫌な予感が頭をよぎり、嫌な汗が全身から吹き出してきます。え??え?まさか?うそ?え?なんで?なんで落ち込んでるの?まさか船が?え?船が出ない感じ?と聞いてみると、彼女たちは小さくうなずく始末。彼女たちは6時半の第一便で出船する予定だったものの、悪天候のために欠航になったとのこと。7時過ぎに彼女たちが出発していないということは、7時の船も欠航だった事は言うまでもありません。青天の霹靂、顔面蒼白状態です、打ちひしがれたボクサーのように私はベンチに腰掛けました。彼女たちを励ます元気など、これっぽっちも残ってませんでした。よくよく考えたら南口にも、この乗船口にも誰もいないなんておかしい話です。この世で彼女たちと私だけが、知らされてなかった事実。乗船不可の情報は情報統制されていたのだろうかと中国政府を睨みつけてやりたくなりました。
そして、小雨の音がうるさく感じはじめた頃、ピーと大きな笛の音が聞こえてきました。この時、この音が神様の福音になるとは誰も知る由もありません。
その音は、激しさを増してこちらに近寄ってきました。笛を鳴らしていたのは肩に武夷山観光センターの文字が光る事務員。もうお前らは帰れと言っているのだと思って目を合わせないでいると、目に飛び込んできたのは、ホッチキス。一瞬、頭がパニックになりました。武夷山とホッチキス、九曲渓とホッチキスの関係とは何か。神経衰弱中の私にはそんな関係式が解けるほどの力は残っていませんでした。しかし、突然横目に入ってきたのは、彼女たちの笑み。そして、事務員を見ると、彼女たちのチケットをホッチキスでまとめて引き渡しているじゃないですか、そう、これは乗船のサインだったのです。小雨の中鳴り響く笛の音は、乗船準備完了の福音となりました。
私はチケットを渡し、そして事務員と見つめ合い、熱い握手を交わした後、最敬礼のポーズを決めて乗船口を後にしたました。
乗船口を通りすぎて船にたどり着くと、100隻は下らぬいかだ船が出船準備を終えていました。南口に誰もいなくとも、乗船口に誰がいようとも、船頭達は着々とわたしたちを出迎える準備をしていたのです。そんな事つゆ知らず、雨と欠航情報とホッチキスに一喜一憂していた自分が恥ずかしくもあり、なにやら目頭が熱くなってきました。そんな私に目もくれず、紐の硬さをチェックし、座席の傾きを直し、霧の中で仕事をする漢たちは武夷山の神が降臨したかのような神々しい姿でした。
そして私達の乗船が、この日の初出航だったようです。前にも後ろにも誰もいない、静寂の九曲渓を味わえるのかと思うと、やはり目頭が熱くなってきました。数百人単位の世界遺産の入り口と、喧々諤々の乗船口を予想していたことを回想して立ち止まっていると、ふと肩を叩かれたのです。武夷山のそよ風かと思いながら振り向くと、それは船頭でした。そして怒られました。突っ立ってないで歩けと。そうでした、彼らにとっては毎日の仕事をこなしているだけなのです。私だけが、調子に乗って夢心地だったのです。気を引き締めてカメラとレンズを握りしめ、乗船しました。
半分以上が浸水している船と、カビだらけのライフジャケット、船に固定されていない椅子を目視で確認し、出発しました。船頭は前と後ろに1人ずつ、後ろを振り向くと船のメンテナンスをする漢たちが100人ほど作業中でした。
九曲渓とは、名の通りで10キロの渓流の中に九つ曲がる箇所があります。船頭たちはそれを竹で出来たオール(櫂)でうまくさばいていくのですが、1つの曲渓には1つの物語があります。聞きたいのだけれども、教えてくれない。いや、厳密には乗船チケット代金内には含まれてないということになります。そう、船の上での交渉が始まったのです。彼らの基本的な交渉術をひもといてみると、
- 10キロの渓流下りの所要時間について客に質問させる、或いは考えさせる。
- 早くて20分、遅くて70〜90分かかると船頭は言う。
- その差は、天候や水量に関係するわけではなく、船をこぐ技術だけでコントロール可能。
- もし20分であれば、乗船チケット代金に含まれる最低限の武夷山の物語を披露する。
- もし70分であれば、武夷山や九曲渓の歴史講義を披露しながらゆっくりと下っていく。
- 船頭の給料は歩合制であるため、70分1回よりは20分3回のほうが給料は高い。
- しかし、もしここでチップをくれるならば、70分〜90分かけてゆっくり運転しようじゃないか。
- 客1人だけを70分にすることは出来ないので、客の全員からのチップが必要になる。
- さぁ客同士で考えてくれ
世界遺産に訪れて、武夷山の最重要地点である九曲渓で数百円をケチる観光客がいるだろうか、恐らくほどんどチップを要求通りに渡しているはずでしょう。
わたしどもは、乗船できた事に有頂天だったので、いくらでも払うから90分でやってくれと伝えました。すると、船頭は笑顔全開でそれに応え、5分毎に何か物語を挟んできたし、写真撮影も積極的に、そして最後は運転までさせてくれました。
乗船時間は約90分で、旅の目的はここに達成できました。撮影した作品は、じっくり現像していくとして、この記事は全てJPEG撮って出しの画像です。SIGMA 35mm F1.4 DG HSMで撮影したものが多いです。
人のいない貴重な九曲渓を撮影できたことは偶然かつ最高の思い出です。
実は後日談があって。翌日の正午前後に九曲渓を通り過ぎたのですが、100メートルの範囲内に船が3隻。早朝以外に乗船することはオススメできません。南口も、午後は大騒ぎでした。