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ボケ写真は日本でしか評価されていない5つの理由

海外写真家の写真を見ると、ボケにこだわった写真は少ない気がします。自然と背景がボケてる写真は世界中にあふれてますが意図的に背景をボカして、もはや背景が何なのか分からないような写真は日本のほうが多いです。日本ではデジタル一眼レフカメラといえばボケを手に入れることと言っても過言ではない風潮です。

日本のスマホアプリでもデジタル一眼レフのように「ボケる」(厳密には加工)写真が撮れるアプリが人気です。ボケに対して非常に好意的な印象を持ってるのは日本人だけだと考えたのが今回のテーマです。私が見てる海外写真家の画像が、たまたまボケた写真を撮っていない可能性は否定しません(笑)。

海外にボケは存在しないのか?

英語ではBOKEHという単語で表現されているそうで、そういう写真表現は確かにあります。そして、そのようなボケ表現を使った写真は、減少傾向ではなく増加傾向だと聞きます。ただしそれを表現の1つとして積極的に使う人が少ない気がしているのです。海外では広大な風景でも日常のスナップショットでも、パンフォーカスでドーンという表現が多く、ふわっとしたトロけるボケを使った写真は日本で見る確率のほうが圧倒的に多いのです。

なぜ日本人はボケが好きなのか?

不思議なものです。緻密で細かいものが得意な日本人にとっては隅々まで細かく緻密に写しだす写真こそ、美徳だと考えそうです。月刊誌はもとより、WEB上での比較レビューや商品レビューでもよく特集されるのは「ボケ味」の論評であり、ボケの輪郭やボケの柔らかさについて多面的に評価されています。

一方で画面全体にピントが合うパンフォーカスについて特集されることはほとんど見たことありません。これはボケ味について論評することは読者の興味を惹くという当たり前の構図だからでしょう。そこで、なぜ私達はボケを積極的に評価するのでしょうか。また、一眼レフカメラとボケは切っても切れない関係にあるような風潮はどのように成り立ったのか全て妄想の域から脱しませんが考えてみます。

ボケが日本だけの芸術的な表現だと思う5つの考察

ボケ考察その1 進化的側面

写真の進化はパンフォーカスから進化してボケという表現が生まれたのであれば、いつか海外でもボケという表現が一定の評価を得られる日が来るのではないでしょうか。時代はいつもパンフォーカスだったものの、表現の幅を求めてボケという表現を手に入れた人類はボケ表現へとシフトしていくのです。私達日本人の撮影表現が世界の一歩先を歩いているわけです。

ボケ考察その2 地理的側面

写真は芸術のひとつであるならば、そこにはオリジナリティが不可欠です。他人と同じ作品は芸術とはいえず、ましてや絵画やデザインと違って、ありのままの現実を切り取るのが写真の要素であるため、撮影の場所と時間が最重要です。となりますと、島国日本は国土面積が狭いですから「あーここね、知ってる知ってる」写真が量産され、オリジナリティに欠ける作品が多くなるのです。

だから背景をボカして見えなくする事によって、そのオリジナリティを担保するのです。しかもうさぎ小屋と揶揄されるような小さな家では50mmで撮影しても近隣がすぐに映り込むから、背景を限りなくモザイク化する必要があるのです。つまり、島国であるがゆえに撮影場所に制限がかかる地理的な側面があるのではないでしょうか。

ボケ考察その3 西洋と日本の文化的側面

写真は芸術であり、芸術の評価軸は昨日今日で変わるものではありません。つまり美しさの基準は歴史や文化に依存するのではないでしょうか。西洋の絵画や歴史的建造物を見ても分かる通り、その細部にまで緻密に計算された絵やデザインが傑作の条件です。

ダン・ブラウン作『インフェルノ』にも登場するヴァザーリ作の「マルチャーノの戦い」でも細部書かれた文字が物語のキーファークターです。つまり、これを写真に例えると細部にまでピントがあったパンフォーカスが評価されるという事と同義ではないでしょうか。

一方の日本の芸術を見ると、例えば京都にある「竜安寺の石庭」などに見られるように「全体が掴めない」設計になっていますし、日本画を見るとそもそも背景の描写がない作品も多い気がします。これは全体とは何かという問題ですが、日本においては主題そのものだけに焦点をあてたり、一部に焦点を当てることが一つの美と認識されているのではないでしょうか。これがボケを積極的に評価する土壌を作り出したのではないかと考えています。

ボケ考察その4 主役は1人の国民性の側面

映画を見て感じることは、日本に比べて海外ドラマや海外小説のほうが「主役級の登場人物が多い」。簡単にいうと名前を覚えるべき登場人物の数が海外のほうが多いのです。主役は1人で後は脇役の日本映画やドラマと、俺も私もあなたも登場人物!の海外映画やドラマの違いであって、言い換えれば被写界深度の深さのようなものではないでしょうか。

ボケの醍醐味は写真の主役を引き立てることですから、1人の主人公に焦点を当てる日本のフィクションとボケには何か相関関係があると考えています。広範囲にスポットを当てる海外、一部分に焦点をスポットを当てる日本。これがそのまま写真表現にも表れてるのです。

ボケ考察その5 メディアにアマチュアが踊らされている側面

現在のレンズ交換式カメラの市場を席巻しているのは日本メーカーです。ここドイツ系が衰退し日本メーカーが躍進したのはここ数十年程度の事ではあるものの、この間にボケ表現の土壌が生まれたのは事実でしょう。ボケ表現スタイルは、日本ブランドの台頭に比例してアマチュアカメラマンが大量生産され、今ではカメラ女子のような新たな層も生まれ、日本アマチュアカメラマン独自の表現として確立したスタイルなのではないでしょうか。

そして、このボケというのは実は日本のアマチュアカメラマン「だけ」の産物なのではないか?と考えているわけです。これは井の中の蛙大海を知らずと同じで、実は日本全体(プロ、アマ合算)ではボケは評価されておらず、ただ日本のアマチュアカメラマンだけに評価される1つの表現方法ではないかと考えています。

確かに私が目を通す月刊誌は、アマチュアカメラマン向けです。そして、そこにボケ味についての評価が延々と続いています。レンズの味はボケにあり、作例はボケ比較は雑誌の定番です。もしかしたら、レンズを買わせるためにアマチュアを躍らせるメーカーとメディアの仕組まれた罠なのかもしれないです。

世界中で売られているレンズに違いはあるか?

ボケを構成する要素は多々ありますが、大きな要素は「レンズ」です。大口径レンズを使って撮影することが、ボケを量産する最も近道です。大口径レンズは日本だけで売られているわけではありません。少なくとも私が住んでいる上海では、F2.8通しの望遠レンズをよく見かけます。CANONは海外売上比率が50%を超えていると記憶しています。

大口径レンズの使い道が違うのかもしれないですね、明るいレンズはボケのためではなく、暗いシーンでも撮影できるという点に焦点があたってるのかもしれないです。5つの考察を終えましたが、最初から最後まで、脳内妄想の域から一歩も出ていませんのでご了承を。