井上晴美といえば、スイマーであり1億の保険をかけたグラビアアイドル
1991年、いまから20年以上も前の話。井上晴美はインターハイ出場の水泳選手であった。そして、桜っ子クラブさくら組の一員でアイドルとしてデビューしたのであった。桜っ子クラブなんて誰もしらないかもしれないが、中谷美紀、加藤紀子、菅野美穂が所属していたグループでもある。
さて、1億円の話である。予想どおりであるが、胸に1億円である。何に怯えていたのか売名行為だったのかいずれにせよ、その胸に1億円の保険をかけた。それから保険金が支払われるようなことにはなっていないだろうが、当時は世を賑わせた。
井上晴美の写真集『LIVE』は篠山紀信撮影のロンドンロケだった
幻冬舎から出た『LIVE』は井上晴美の初の写真集であり、当時の写真集業界の筆頭カメラマンであった篠山紀信によるもの。「もう、ヘア・ヌードなんて呼ばせない!」これがキャッチフレーズであった。
同時期に宮沢りえの『Santa Fe』(サンタフェ)が朝日出版社から発売されたわけだが、そのカメラマンも篠山紀信である。同じ年に同じカメラマンの作品として発売されているわけだから「もう、」というには早すぎる気もするが、幻冬舎は言い放ったわけだ。
ちなみに、1991年というのは日本の写真集業界にとっては記念すべき年でもある。篠山紀信が撮影した樋口可南子写真集『water fruit 不測の事態』にはいくつかヌードらしき姿があった。しかし警察は摘発を行わなかった。
これが事実上の日本の写真集出版や映像業界における「ヘア解禁」と捉えられるようになり、これ以後続々と出版されるヘアヌードブームへと進んでいくことになる。つまり、井上晴美の写真集は創生期に産声をあげた写真集なのである。
離婚話もあった井上晴美だが、熊本で自給自足の生活
「ナースのお仕事」で観月ありさの先輩ナースとして活躍するなど、グラビアアイドルから立派な女優となった井上晴美。2005年にメキシコ人と結婚して3人の子どもと共に熊本で生活しているようだ。
熊本の地震で災害をうけ、そして誹謗中傷にあい、ブログの更新をやめるという一連の流れはもうご存知だろう。コチラからブログは閲覧できるが読んでみるとわかる。このブログに誹謗中傷を浴びせるのはなかなか理解できないが、そういう人もいるようだ。そして、井上晴美はそれにうんざりした模様。
井上晴美さんが、また元の生活に戻れますように。