シノラーこと篠原ともえが、シノラー姿で完全復活してる
歌手であり、タレントでもある篠原ともえがシノラーとして完全復活してた。いまでは女優業まっしぐらで、いまの30歳代以降の人にとっては、あのシノラーが懐かしすぎる。奇抜なファッションと超ハイテンションぶりで、社会現象にまでなったシノラーがここへ来て再熱の予感がしてる。
今回のシノラー復活の意図はよくわからないものの、ご当地キャラのふなっしーとのツーショット写真を自身のインスタグラムで投稿したのをきっかけに、各方面から懐かしの声とシノラーブーム最熱の噂が上がっている。遡ること10年以上も前に、シノラーブームが起こったのだが、知らないや頭の端っこに追いやってしまった人も多いと思うのでここであの社会現象をおさらいしておこう。
篠原ともえとシノラーブームとは何だったのか?
現在35歳になるシノラーこと篠原ともえが起こした社会現象をシノラーぶーむと呼ぶ。1996年からの数年間、個性的すぎる篠原ともえのファッションを模倣する同年代の女性が爆発的に増えていき、当時のファッションリーダー的存在となった。さらには、ファンのみならず、同世代の母親や父親までブームは広まり親子シノラーが登場するなど大きな社会現象となった。
お団子頭と前髪パッツンがトレードマーク、ハーフパンツにサスペンダー、100円ショップで揃えられる数多くのアクセサリー、腕時計は2つ、羽をつけたランドセルなどかなり奇抜なファッションであった。音楽番組『HEY!HEY!HEY!』に出演して注目を浴び、『LOVE LOVE あいしてる』へのレギュラー出演で人気者となり1990年代の時の人として絶大な人気があった。
安室奈美恵のアムラーとの対極に位置したシノラー
シノラーが社会現象となっていたころ、もうひとつティーンエージャーの間で社会現象になっていたのは安室奈美恵陣営のアムラーだった。アムラーとシノラーといえば完全に真逆のファッションであり、アムラーはミニスカート、厚底ブーツ、ロングヘア、茶髪、細い眉毛が特徴だった。シノラーのファッションとは全てが真逆だった。
あの当時は、アムラーがいたからシノラーが目立てたし、逆にシノラーという存在がアムラーの魅力を引き出していた感じもする。両極端にいる2人の存在によって、2つのムーブメントが同時に成り立っていたと思う。もう芸能生活20年近く、あのキャラのままでは20年はやっていけなかったはずだから、うまくキャラ変更できた稀有な芸能人の1人でしょう。
シノラーブームは去り、台湾事件をきっかけにあの人は今?状態になった
老若男女に人気を博した篠原ともえだったが、ある事件をきっかけに完全に干された芸能人と呼ばれるようになった。それが台湾事件と呼ばれる泥酔騒ぎ。事の真相は迷宮入りだが、噂をまとめるとこうだ。台湾ロケの最中に、深夜にホテルで泥酔状態で大騒ぎし、裸同然の姿でホテルを抜けだしたところ、台湾の警察や消防のお世話になったということ。それが原因で事務所側がさじを投げて芸能界からはコントロール不可能なタレントとして干されていった説。
篠原ともえ本人は、台湾事件後の記者会見で完全に否定しており、奇行したことはないと言っている。過密スケジュールから急性ストレス障害となり、日本に帰国したくなったことをホテルでスタッフに伝えただけだと。事件の真相はわからないものの、少なくともこの事件のあとから、急激にメディアへの露出が減ったことは確かである。
完全復活の篠原ともえが多才すぎた
一時期は芸能界の表舞台からは消した干された芸能人の印象がある篠原ともえだが、この潜伏期間に再ブレイクの準備していたといったほうが正しいと思う。人気海外ドラマの声優や、映画の出演など徐々に芸能のスキルを上げてきている。もともtも清楚さや文化的な素養を持ち合わせていたマルチな才女であったことから、なるべくして再ブレイクしたと言える。
また潜伏期間にはデザイン学校に通っていたこともあり、自らコスチュームをデザインし、作詞作曲も手がける才女は演技力も歌唱力もあり芸能界では何もやっても安定した成績を残していると言われている。その証拠に松任谷由実のコンサート衣装のデザイナーは、この篠原ともえである。過激な印象だった1990年代のシノラーブームから心機一転、いまでは安定の多才タレントかつ美人女優が定着しつつある。