宮沢りえのサンタフェの記事を書いていて、アメリカではどんな写真集が売れているのか調べてみると、驚いたことに最も売れた写真集はアマチュアカメラマンによって撮影された写真でした。その写真家を調べてみたら、写真集の背景がまるで小説のように偶然と奇跡の連続だったので記事にしてみました。その名は、ヴィヴィアンマイヤーという名のアマチュア写真家。
アメリカで一番売れた写真集はプロが撮ったものではなかった
アメリカのアートフォトサイトの年間売上ランキングの集計結果によると、2012年も2013年も一番売れた写真集は米国のアマチュア写真家ヴィヴィアンマイヤー(Vivian maier)による作品でした。このアマチュア写真家は生涯孤独の独身女性で、写真集が発売されたときにはこの世にはいません。彼女は今から5年前に亡くなり、死後に彼女の写真がある青年の手によって再評価されてこのような結果になりました。
彼女の写真は1950年代から1990年代にかけてのシカゴを舞台するストリートスナップが中心です。一見何の変哲もない街角スナップに見えてしまいそうですが、この写真集が評価された理由は大きく2つあります。1つはもちろん写真の素晴らしさです。構図や光の明かり方、時代を切り取る記録性という意味では非常に優れた写真だと評価されています。
そして、この写真集が注目を集めた大きな理由が、彼女の写真集がこの世に生み出された背景や経緯です。アマチュア写真家の一人に過ぎなかったヴィヴィアンマイヤーが、死後に再評価されてアメリカで最も売れた写真集になるには、彼女の写真を発見した1人の青年の功績が大きいのです。
全ての始まりは、不動産エージェントの青年が見つけた1枚の写真
ジョンマルーフはヴィヴィアンマイヤーの写真を偶然にも手にし、それを世界に広めた立役者です。ただ彼は決してプロの写真家でもなければ美術商でもありません。当時、彼の仕事は数ある不動産エージェンの営業マンの1人にしか過ぎませんでした。
2007年の冬、彼は日本でいうフリーマーケットのようなリサイクル品やジャンク品が出品される市場に出かけていました。彼は不動産の仕事のかたわらにちょっとした記事を執筆するアルバイトをしており、その記事に挿入する写真を探していたそうです。そしてその日、彼が見つけたのは傷だらけの収納ボックスに無造作に詰め込めれたいた大量の写真でした。
無名の写真家の写真が青年を虜にする
出品者もこの大量の写真の撮影者を知らず、彼は収納ボックスがある年老いた女性に所有されていた事を知りました。彼は全くのゴミ扱いの写真を400ドルで手にしました。その後、記事に使える写真がないかとネガをパソコンに取り込んでいたところ、どんどんこの写真に惹き込まれていったそうです。
時が過ぎ、彼は収納ボックスの所有者の名前を頼りに、同じ名前がついた収納ボックスを探し続けました。中身が写真であれば買い、ネガをパソコンに取り込んでいきました。しかし、コレクションを維持するにはお金がかかるため、試しにネガをインターネットオークションで販売してみました。
青年が写真家の名前を知ったとき、写真家はこの世を去った
試しに販売しただけの名もない写真が、驚くほど人気がでて飛ぶように売れました。彼は、この写真がきっと素晴らしい写真家の写真に違いないと気づき、無名の写真家を探し始めました。購入した収納ボックスに入っていた封筒の宛名がうっすらと見て取れ、そこにあった名前が、そうです。Vivian Maierです。
彼はすぐにネットでçを検索しました。でも、写真家の写真も記事も全く出てきません。出てきた記事は数日前に83歳になる同姓同名の女性が亡くなった記事でした。念のためこの記事を読み、彼は人生を変える最後の一文に出会いました。
死亡したVivian Maierは、シカゴに暮らしたフランス人であり、写真家の一面もあった
ずっと探し求めていた写真家が、つい先日亡くなったことを知ったジョンマルーフは、vivianmaier.comを立ち上げ彼女の撮った写真をアップし続けました。彼は、写真に関しては全くの素人でした。だから、このサイトの目的はこの素晴らしい写真をどう扱うべきかの議論の場所としたのです。
ヴィヴィアンマイヤーはネットを通じて世界中で評価された
その後、このサイトはどんどんアクセスを伸ばし、それと同時にヴィヴィアンマイヤーの写真への評価も世界的な規模に膨れ上がることになりました。カジュアルでラフな雰囲気の中にも、戦後のシカゴに暮らす人たちの感情をしっかりと映しだした写真は現代に再評価され始めました。その後、彼がヴィヴィアンマイヤーの代わりに個展を開き、写真集を出版するにいたりました。
ヴィヴィアンマイヤーの生前を知る人は非常に少ないようです。地元では変わり者として有名だったようで、生涯独身を貫き、10万枚以上にのぼる写真も誰にも見せずにただただ撮影するだけでこの世を去っていきました。彼女の写真力と彼の洞察力と行動力が、アメリカで最も売れた写真集を作り上げたのです。