ヌード写真を芸術の域に押し上げた伝説の麻田奈美ヌード写真「林檎ヌード」
麻田奈美をご存知だろうか?20代、30代の読者ならほとんど知らないと思う。もしかしたら40代の人でも知らない人もいるかもしれない。ただ、今のおじいちゃん世代なら誰もが知っている、ヌードアイドル。日本グラビア史上に官能という名の金字塔を打ち立て、100年に一度の逸材と言われていた当時18歳の大アイドルである。
1970年代、リンゴで局部を隠した伝説の「林檎ヌード」で一世を風靡したのが、麻田奈美(あさだなみ)。当時の日本人女性には珍しく、官能的でありつつ広い肩幅、大柄な体型、並外れた巨乳、大きなお尻が特徴的だった。そんな娘をもった母が、素晴らしい娘の肉体を何かに残しておきたいと思って写真家の青柳陽一に相談したことが「りんごヌード」の出生秘話である。
そして、この話がグラビアデビューへと進み、たった1枚のヌード写真によって麻田奈美はグラビア史上に残るトップアイドルとして君臨することとなる。当時はヌードアイドルでありながらも、団塊の世代の青年にとっては神格化されるような大人気アイドルとして祭り上げられていた。
未成年だった麻田奈美は、局部を林檎で隠した林檎ヌードでグラビアの概念を変えた
『平凡パンチ』といった青年雑誌を中心に表紙ガールとして活躍の場を広げた麻田奈美は、彼女が表紙を飾った雑誌は100万分を確実に超えていたと言われており、圧倒的な集客力をもつ広告塔として君臨し続けていた。最近のヌード写真業界では、細川ふみえ、hitomiの妊婦ヌードが多少話題になった程度で、その一昔前では樋口可南子や宮沢りえ、菅野美穂のヌード写真が世界を騒がせた。
しかし、麻田奈美のヌード写真のインパクトは少なくとも宮沢りえレベルか、それ以上である。宮沢りえのSanta Feは日本ヌード写真業界のトップの座を譲ったことはないものの、それは写真集の話である。どの雑誌でも100万分を売りさばいてしまう100万部のインパクトは、これまた同じレベルでパワーがあると言える。なんといっても、りんごヌードのポスターが発売されるやいなや、当時の男子高校生の部屋全てに飾られたと言われていたほどのインパクトである。
なぜ、麻田奈美が時代に受け入れられたのかといえば、それは時代の要請と言えるのかもしれない。その当時のアイドルといえば、華奢な体で可愛らしい女性が多かった。そこに、ぽっちゃりでありつつも、大きな胸やお尻のダイナマイトボディーが飛び込んできたわけで、日本人女性観が一瞬にして変わったと言われている。
そんな麻田奈美は、今年で60歳
今年で60歳を超えた麻田奈美は、芸能界を引退して普通の主婦をしているらしい。平凡パンチでデビューして、平凡な主婦を送っているのだから、それはそれで幸せだろう。ちなみに、芸能活動はこの表紙を飾るヌードアイドルが中心であり、その後はいくつかのCMや、音楽活動も行ったがやはり林檎ヌードを超える活躍はしていない。
実際の活動期間は1973年からの5年間程度であり、その後は自分の体の衰えを理由に芸能活動を引退している。ヌード写真のお膳立てをした母は、一見すると娘に対する愛情がひねくれているようにも見えるが、ポルノ映画などの活動は一切断っており、娘を嫁に出すの義務があるといって、麻田奈美の芸能活動をうまくコントロールしていた。
林檎ヌード時代の写真ネガが新たに発見された
そんな麻田奈美を撮影した写真家青柳陽一から、新たに当時の写真ネガが発見されたため、最後の麻田奈美写真集として新たにヌード写真が発売された。ヌードアイドル時代のネガはなんと1万枚を超えていたらしく、その一部を現在のヌード価値基準として新たに出版されたようである。麻田奈美のりんごヌードは、宮沢りえを起点とするヘアヌード解禁前のヌード写真であり、当時では発表できなかった新たな写真が掲載されているという。
麻田奈美引退後に発売された写真集
超大型B全ポスター( W.728mm×H.1030mm)が同封されている写真集。伝説の「りんごヌード」が現在の新基準で蘇るがキャッチコピーの平凡パンチ特別編集の麻田奈美写真集である。
麻田奈美の林檎の記憶シリーズとして発売されているものの、全て予約特典付きのものである。既に発売済みであるものの、今でも予約特典がついている。
今みてもなお、芸術的なヌード写真である。もしいま18歳だったとしても、きっと売れそうな麻田奈美である。そして2015年、林檎の記憶3が発売される。2014年から続く麻田奈美のリバイバル写真集の第三弾にあたる。団塊の世代やしらけ世代の人たちにとってはマストバイアイテムだろう。2015/03/23現在は予約受付中。